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2009.11.30 (シャニム29号掲載)

福島敦子のアントレプレナー対談 No.29

ミチコーポレーション◎植田紘栄志社長

植田社長と福島敦子
 

象と人間の共同作業で生まれた
環境ビジネス
「ぞうさんペーパー」
 
 
株式会社ミチコーポレーション(東京都西東京市)

設立は2001年8月。当初はスリランカでペットボトルのリサイクル業を営んでいたが、その派生事業だった「ぞうさんペーパー」で一躍脚光を浴びたベンチャー企業。「ぞうさんペーパー」は環境破壊で進むスリランカで、「象の孤児院」に保護されている親を失った象のフンをリサイクルして作られる100%手作りの紙。BBCとNewsWeek誌が主催する世界の起業家を集めたイベント「ワールドチャレンジ2006」でグランプリを受賞。これにより世界での認知が急速に高まった。「ぞうさんペーパー」の売り上げの一部は象の保護活動などに使われている。現在では「ぞうさんペーパー」を使った紙製品以外にも、瓶詰めフルーツや紅茶などのオーガニック食品、天然素材のパステルや鉛筆、天然ゴムの動物フィギュアなど幅広い商材を製造・販売している。
http://www.michi-corp.com/

 

福島敦子

 福島 象のフンで作った「ぞうさんペーパー」は、大変ユニークな商品ですね。どんなきっかけから始めることになったのですか。
 植田 もともとは印刷機械の輸出を1人でやっていました。倒産した会社の情報が入ると、そこから現金で買い取ります。これをその日のうちに東南アジアへ送る。いわゆるブローカー業ですね。

 福島 なぜ、そういうお仕事をされたのですか。
 植田  僕は高校を出てすぐにオーストラリアへ行きました。ワーキングホリデイ(滞在費を補うために海外で働くことが認められている制度)です。帰国して自分で会 社を興そうと思ったのですが、社会に出た経験がなかったので、まずは働くことにしました。そこがそういう会社だったんです。そこをやめて同じようなことを 1人で始めました。でも、お金がなかったので昼間はその仕事をやり、夜は築地の魚市場で働いて、お金を貯めていました。

 その頃、ひょん なきっかけで知り合ったスリランカ人から結婚式に呼ばれましてね。それでスリランカへ行ったんです。当時のスリランカは内戦状態だったので、外国人が珍し かったんですね。日本人というだけで、いろんな場所でスピーチさせられましよ。「上を向いて歩こう」を歌わされたり、空手の真似をさせられたり(笑)。

 福島 やってくださいっていうリクエストがあって。
 植田 ええ。たまたまユニクロのフリースを着ていたので、「これはペットボトルでできているんです」という話をしたんです。これが受けましてね。だんだんと話がふくらんでしまい、ついにスリランカでペットボトルのリサイクルビジネスをやることになったんです。

 福島 いきなりビジネスに発展したのですか。
 植田  「ペットボトルのゴミが服になるんだったら儲かると思うんですけど、どうですか」と問いかけられて、僕は「ちゃんと分別すれば、儲かるんじゃないですか」 と答えたんです。ところが通訳が「日本のテクノロジーならできます」と勝手に訳しちゃったんです。それが次の日の朝刊に出ましてね。

 福島 通訳さんが勝手に話しちゃったんですか。
 植田 勝手にです。でも、うまくいかないですよね。日本なら自治体からの助成金などもありますが、スリランカでは全部自前ですから。

 福島 ゴミを分別する規則もないわけですよね。
 植田 だからまずは啓蒙のためにエコセミナーやエコスクールなど、お金にならないことばかりやっていました。それで、築地で貯めたお金がなくなってしまいましてね。ちょっと足しにしようかと始めたのがぞうさんペーパーだったんです。

 

スリランカ人との出会い植田紘栄志社長

 福島 今のビジネスのきっかけになったスリランカ人との出会いが、ドラマチックだったそうですね。
 植田 まだ築地で働いていた頃のことですが、ある日スリランカ人が地下鉄永田町駅で倒れていたんです。その彼に声をかけられましてね。最初はホームレスかと思ったんですが、彼はいきなり「小渕さんのところに行くので道を教えてほしい」というんです。

 福島 小渕さんて、総理大臣時代の小渕恵三さんですか。
 植田  彼はスリランカ政府の公務で来日したそうで、研修生受け入れのリクエスト・データなどを持っていました。とはいってもアポイントを入れてないので「たぶん 会えないでしょう」と。そしたら今度は「石原氏はどこだ」という。「都庁だと思うけど、アポがなければそこも難しい」と話しました。で、ついには「金を貸 して」という話になって。

 福島 ちょっとおかしいとは思わなかったんですか。
 植田 思いましたよ。ただですね、その日は給料日だったんですよ。たまたま財布の中に1万円札が10枚ぐらいあった。1000円札があればそれをあげたと思うんですけど、1万円札しかなかった。しかたがないから「これでパンでもお食べ」ってあげたんです。
  彼はホテルでぼられたというんです。名前を聞いたら有名なホテルでしたし、そんなことあるかなと思ってレシートを見せてもらいました。そうしたら「ビデオ 鑑賞チャージ」と書いてある。「スペシャルビデオを見ただろう」と聞いたら「5時間ぐらい見た」って。それでお金がなくなったんです。

 

「ぞうさんペーパー」誕生秘話

 福島 ウソのような本当の話という感じですね。でもその彼のおかげで「ぞうさんペーパー」のきっかけが生まれたわけですね。
 植田 ペットボトルはうまくいきませんでしたし、最初はもうスリランカとサヨナラしようと思ったんです。でもスタッフがたくさん残ってましたしね。もう1回スリランカで何かやろうかと。で、ぞうさんペーパーを始めたんです。
  もともとは啓蒙の一環でやっていた絵画コンクール用の画用紙として使っていたんです。日本でも展覧会を開きましたが、全国紙が取材してくれましてね。ただ し、内容は象のウンチの紙ばっかりなんですよ、絵じゃなくて。そんなに反響があるならノートを作れば売れるかなと思って始めたんです。

 福島 そもそも象のフンで紙を作るという発想はどこから?
 植田 スリランカでは象のウンチの紙だけじゃなくて、おが屑やバナナとか、いろんなもので紙を作っているんです。僕が開発したわけではないんですよ。

 福島 現地では昔からそういうことをやっていたんですか。
 植田 そうです。だから絵画コンクールでは、象のウンチだけでなく、バナナやおが屑の紙も使いました。ところが象のウンチの紙だけが評判になったので、残りの金を使って生産ラインを作り、ノートなどを商品化したんです。

 でも最初は全然売れなくてね。しかも、ワシントン条約で「象のフンの輸入はダメだ」といわれました。これは交渉を続け、1年ぐらいかかってようやく許可が下りたんです。

  同じ頃、上野動物園で口座が開けました。それがきっかけで全国の動物園が扱い始めてくれ、ようやく黒字決算になったんです。信用金庫からも融資を受けられ るようになり、紙だけじゃなくて紅茶や瓶詰めフルーツなどの食品も作り始めました。スーパーが扱ってくれたんです。スリランカでいろいろな商材を探しなが ら、今に至ったという感じです。

 福島 現地とのコラボレーションがようやく実を結んだわけですね。
 植田 メディアにも興味を持ってもらいましたしね。「ウンチで金儲けしているヤツがいる」って(笑)。ウンチが紙に、というのであれば、他の家畜のウンチでもサプライズはサプライズじゃないですか。

  でも象は環境破壊のシンボル的な存在だったんです。ジャングルが切り開かれて食べ物がなくなった象が、民家に下りてきて撃ち殺されるとか。それは今でも いっぱいあります。人間も食っていかなくちゃいけないので、ジャングルを切って焼き畑したり。象と人間は土地を取り合っている敵対的な関係だったんです。

  しかし「ぞうさんペーパー」は人間と象が一緒に商品を作るわけです。ビジネスパートナーですね。しかも利益に応じて、象が住みやすいように環境を保護する ことも、ビジネスモデルの中に組み込んでいます。今のスリランカは環境破壊が加速している状況ですが、ぞうさんペーパーはその救世主みたいなビジネスとし て、政府がプレスリリースを打ってくれたり、ワシントン条約の件でも推薦状を書いてくれたりとバックアップしてくれています。

 これがもし象ではなくレッサーパンダのウンチだったら、違う方向へいっていたでしょうね。ウンチから紙というサプライズだけで終わっていたと思うんです。

 福島 いろんな物でできた紙があったのに、象のフンだけに着目したことがよかったのですね。
 植田 時代背景でしょうね。それまでの僕は、象が環境破壊のシンボルということを知らなかったですから。まあ取材などでは「象と人間の共同作業のために開発しました」っていう時も、たまにありますけどね。でも、それはハッタリ。実は偶然なんです(笑)。

 


子どもの頃から起業家志向

 福島 お話をうかがっていると、起業家として独立したいという思いを、ずいぶん前からお持ちだったように感じますが。
 植田 子どもの頃からです。

 福島 その原点はどこにあるのですか。
 植田 勉強が嫌いだったからです。母に「勉強して、いい大学を出て、いい会社に入れないと幸せになれない」っていわれていたので。俺には無理じゃないですか。

 福島 お母さんは、小さな頃からそういうことを。
 植田 僕は小学校の頃から、すでに圧倒的な馬鹿だったんです。先生の机の横に、1人だけ席を置かれたりとか。参観日には必ず親と目が合うんですよ(笑)。

 福島 でも、きっかけをつかんで、ビジネスを自分の手でやりたいと、ずっと思っていたのですね。
 植田 高校を卒業して行ったオーストラリアでも、いろいろやっていましたね。僕も学生でしたけど、他の学生をホームステイ先に呼び入れて家賃を取ったりとか。

 福島 昔から環境に応じてビジネスを創る才があったわけですね。リスクを恐れず新しいことにチャレンジしていくタイプなのでしょうね。
 植田  そうでもないですよ。ただ、冒険野郎っていうコンセプトが僕の会社にはあるんです。アドベンチャーですよ。例えば自然素材と一言でいいますけど、天然ゴム の採取場所はコブラだらけ。だから僕は太いズボンしかはかない。万が一噛まれても牙が肉に達しないように。蛭もいるので常にブーツや長靴ですしね。「ビジ ネス全般を冒険的なノリで」というのが僕の好きなところで。

 福島 インディージョーンズがお好きだとうかがいましたが。
 植田  インディージョーンズはビジネスのベースにありますね。あきらめないで、蛇みたいにしつこいでしょう、インディージョーンズって。それにリスクと思う人が いてくれる方が助かりますね、ありがたがられて。よくやったね、とか。でも実際にやってみると、コブラは襲ってこない。そっとしておいてあげれば追いかけ てこない。デング熱にもかかりましたが、治りますからね。

 

本能的マーケティング

 福島 今後の事業展開や、植田さんの夢をお聞かせください。
 植田 例え大地震がきても飢え死にしないような、そういう衣食住関連商品をラインアップしたいですね。食品でもフルーツだけじゃ、やっぱり厳しいですから。仮に日本円が屑になったとしても大丈夫なような、物々交換できるオンリーワン商品をたくさん作っていきたいですね。

 福島 大地震がきても大丈夫というのは、どういうことですか。
 植田 僕とかうちのスタッフとか、スタッフの家族とか、お世話になった人たちぐらいは守りたい。それがもっと広がっていき、西東京市なら大丈夫とか、日本なら大丈夫とか。そこまで自惚れてはいないですけど、そういうコミュニティーを構築していきたいと思っています。

 これと並行してメディアですね。自分が好きなタイミングで発信できるようになりたいですね。出版業とかラジオとか、ネットももう少し力を入れていきたいですし。自分で発信するメディア力と作って売るというビジネスとを、自前で押さえたいということですね。

 で、押さえる内容というのは物々交換が可能なものとか、停電になっても動くものとか。だからアロマキャンドルもやっていますし、火を使わなくても食べられる食品をやっているんです。本能的なマーケティングっていうんですかね。

 福島 なるほど。
 植田  でも、ここ1年は屋上緑化ビジネスに1番力を入れます。「ぞうさん緑化マット」といいます。うちではココナッツミルクも作っていますが、これを作る際に出 るゴミや象のフンを使ってリサイクルマットを作るんです。これを地方の農家に芝生の種と一緒に送って、休耕田で芝生を育ててもらいます。そして代理店に 送ってビルの屋上緑化に使ってもらう。農家のネットワークと建築業のネットワークとを、うちが結びつけるんです。これが今1番新しいビジネスです。衣食住 のうち、住がやっとこれから始まります。

 

新ビジネスインフラの構築

 福島 植田さんの中には素材や製造、物流や販売などビジネス全般の仕組みを、まったく新しく構築したいとの思いがあるように感じます。
 植田  コミュニティーが大事だと思うんですよ。近所付き合いもそうですけど、ある程度わかっているヤツが集まって、そこで物作りをすれば、例えばラベルがちょっ と破れていても問題ないじゃないですか。でも、今の流通ではラベルが破れたものは扱ってもらえない。賞味期限にしても、残りが半年を切ったものは扱わない とか。

 誰がどうやって作ったのかがわかっているコミュニティーであれば、賞味期限なんて馬鹿らしいですよね。ラベルが破れているという ことに何の違いがあるの、となるでしょう。そういう知性とコミュニティー、そして、みんながみんなオンリーワンのものを持っているということが大事だと思 うんです。
 あとは、そういうことが啓蒙ができるメディアや自分の物流ですね。そういうことをわかっているヤツと交信ができるコミュニティーがあれば、大地震がきても生き残れるって、そう思っているんですよ。

 福島 ラベルに書いた製法や素材、賞味期限だけで顧客とコミュニケートすることに本質的な問題があると。
 植田  ありますね。もったいないと思いますしね。例えば昔はお寿司を残すってありえなかったですよね。滅多に食べられないから。でも今、うちの息子は残すんで す。今の若い人たちには、寿司に高いイメージがない。いつでも安く気軽に食べられるから。だから最近、うちの家族は最高級の寿司しか食べない。そのかわり 特別な日だけです。最高級だからうまいし安全ですよね。体にいいし、味のわかる男に育つと思うし。

 福島 大事なことですよね、それは。物の価値って、それが持っているストーリーが伝わった時に初めて理解されますからね。ご自身のメディアを持っていれば、そのストーリーを発信することもできる。
 植田 そうすると売れるんじゃないですか、どこの国であろうと。

 福島 植田さんの考え方って非常に本能的というか、プリミティブな感じがしますね。
 植田  どうでしょうか。ただ、業界に属さずにチャレンジしているので、毒されていないのかもしれない。屋上緑化にしても建築業界の手法とはまったく違うやり方で すし、出版にしても取次業者とは関係なくやっていますから。考え方がおかしい野郎と思われるけど、ちょっと痛快なプラス面が出てくるのかも。
 福 島さんはプリミティブとオシャレにいってくださいましたけど、クレイジーともいえますね。変わったやり方をしないと、うちみたいな小さな会社は取材にもき てもらえない。取材されなければ、人に知られることもない。知らない会社のものは怖いから、食品なんかは買ってくれないですから ね。              (敬称略)

 

植田紘栄志社長植田紘栄志(うえだ・ひさし)氏
株式会社ミチコーポレーション代表取締役。1971年岐阜県生まれ。豪州ウイリアムスビジネスカレッジ卒業。20歳で豪州留学。スリランカにてペットボトルリサイクルや象の排泄物のリサイクルペーパー「ぞうさんペーパー」、屋上緑化用の建材「ぞうさん緑化マット」などを製造。「ぞうさんペーパー」が「BBCワールドチャレンジ2006」でグランプリ獲得。出版事業では「ぼくのウンチはなんになる?」が第41回造本装丁コンクール展にて「ユネスコアジア文化センター賞」を受賞。エフエム西東京の「植田紘栄志のラジオぞうさん」でパーソナリティーとしても活躍中。
会社URL:http://www.michi-corp.com
ブログ「ぞうさんペーパー日記」:http://blog.livedoor.jp/nishada/


 

インタビュー後記
 読者の皆さんも感じられたと思いますが、植田さんはとにかくおもしろい方でした。はじめはスリランカの環境問題を事業を通じて解決する、社会起業家なのかなと思っていましたが、まったくそうではなくて、自分にたまたま巻き起こった不可思議な出来事にうまく乗って、ビジネスを立ち上げてきた。しかもそのビジネスは周囲の人たちを皆、ハッピーにするビジネスなのです。
 植田さんは、仕事も家庭生活も自分の中には境界線がなく、両方が混然となった生活をしているとおしゃっていました。お子さんを連れて動物園に行き、ぞうさんペーパーの商談をしたり、仕事の合間に運動会に参加したり、コミュニティの集会に出席したり。そうしたライフスタイルから、また新しいビジネスのヒントが生まれたり、人とのネットワークが築かれたりしてきたといいます。
 思わず植田さんをプリミティブと評したのは、人間の生活とは本来、そういうものだったはずとの思いがあったからです。モノの作り手と買い手がお互いのことをよく知っていたら、賞味期限やキレイなラベルも確かに必要ないでしょう。
 膨大な情報が氾濫している今、本当のモノの価値とはどういうことなのか、人の幸せとはどこにあるのか。なんだかビジネスを超えて、そんなことを考えさせられた対談でした。