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2008.08.20 (シャニム24号掲載)

福島敦子のアントレプレナー対談 No.24

メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン◎大野寿子事務局長
大野寿子事務局長と福島敦子
 
「難病の子どもの夢をかなえる」
その種まきに日本全国を奔走
 

メイク・ア・ウィッ シュ オブ ジャパン(東京都千代田区)

「難病の子どもの夢をかなえる」ことを目的とした国際的なボランティア団体。現在はアメリカに77拠点を持つ「メイク・ア・ウィッシュ オブ アメリカ (MAWFA)」と全世界27カ国に広がる「メイク・ア・ウィッシュ インターナショナル(MAWFI)」の2財団から成っている。日本では1992年、 沖縄でスタート。94年に事務局を東京に移し、全国の主要都市に支部を開設して活動している。ボランティアの数は3000名を超え、年間約150名の、難 病の子どもの夢をかなえている。夢の実現など詳細についてはホームページまで。
http://www.mawj.org/

メイク・ア・ウィッシュとは

福島敦子

 福島 メイク・ア・ウィッシュはどんな経緯で設立された団体なのですか。
 大野 1980年のことですが、アメリカのアリゾナ州に7歳のクリス君という白血病と闘う男の子がいたんです。彼にはおまわりさんになりたいという夢があった。その話を聞いた地元のハイウェイパトロール隊員が、ある日クリスに飛びっきりの1日をプレゼントしましてね。

 その日、彼は特注のユニフォームを着てバッジを付けて宣誓式に臨み、警察官に任命されたんです。そして本当に市内パトロールをしたり、駐車違反切符を切ったりしました。
 でも、その5日後に亡くなったんです。その時、おまわりさんたちは同僚を亡くしたと。本気でやっている間に、人間的なつながりができたんですね。クリスがおまわりさんになりたいという気持ちを持っていてくれたことが、おまわりさんたちの励みにもなり、クリスを尊敬するようにもなっていったんです。そこで、クリスが亡くなった時に殉職した警察官としての葬儀を執り行なったんです。

 その話が全米のマスメディアに取り上げられ、それがきっかけで、そういう子どもたちを手伝いたいということで「Make a Wish Foundation of America」ができたんです。ほとんどの州に支部ができ、日本もその加盟国として立ち上がり、さらにインターナショナルに広がりました。
 スーザンさんというアメリカ人女性が沖縄で立ち上げたんです。本国で理学療法士として働いていた時に、闘病生活の中で、夢を持つ子どもの瞳の輝きに心を打たれた経験から、日本でもこの活動を行ないたいと思ったのです。

 福島 今では世界何カ国に広がっているのですか。

 

fukushima24_03.jpg

 大野 28カ国です。夢をかなえた子どもの数は16万5000人以上。そのうち日本は1219人です(8月4日現在)。

 福島 大野さんの著書「メイク・ア・ウィッシュの大野さん」(メディアファクトリー)を読ませていただき、夢の力はすごいと改めて感じました。言葉を発することができなかった子が、夢をかなえることで言葉を口にしたり、歩けなかった子が自分の足で1歩を踏み出したり。夢をかなえることで自分に自信が持て、次の夢に向けて頑張ろうというエネルギーになるわけですね。
 大野 そうなんです。夢がかなうと誇らしげに堂々としてくるんです。それはかなえてもらったからじゃなくて、かなえたからなんですね、自分で。その気持ちがその子を変えていくんだと思います。
 それまでは、いつもしてもらう一方であったり、あるいは家族に迷惑をかけているとか、そういう切ない思いを抱えている。それが夢をかなえた瞬間から、病気のままでも自分でできたという思いが生まれ、自分がやったことで両親や周りの人もこんなに喜んでいるという、自分が喜びの発信地だということが、自信になるんじゃないかと思うんです。

 

 

個別に夢をかなえる意義

 福島 とても印象に残ったのは、子どもたちの夢を一人ひとり個別にかなえることにこだわっていることです。例え10人の子どもたちがディズニーランドにいきたいという夢を持っていても、10人の子どもを一緒に集めて連れてはいかない。そのあたりがメイク・ア・ウィッシュの活動のスピリッツを、表現しているように思うんですけれども。
 大野 一生に一度だけの夢をかなえる時に、そこがすごく大事だと思うんです。「みんなでいきました」「楽しかった」では、その子の人生や見える景色を変えるほどのインパクトにはならない。あなたのためにこれだけのプロジェクトが動き、たくさんの人が応援してくれる。だからこそ、その子は自分の生きる立ち位置を発見できるのだと思います。

 福島 とても有意義な活動だと思います。でも、携わっている方にとっては、難病と闘う姿を目の当たりにしたり、時には死に直面したり。精神的にタフじゃないと務まらないのでは、とも思います。
 大野 取材を受けるたびに、それを聞かれます。それで気付いたんですけど、難病の子どもの夢をかなえると聞いた時に「難病」という言葉に引っかかる人は、どんなにかわいそうかと思って1歩も動けない気がするんですね。私は脳天気だったので「夢をかなえる」というその言葉が、とても素敵でファンタスティックだと思って。しかも個別に。

 福島 でも、実際にいろいろと経験されてきて…。
 大野 亡くなる子もいますし、いろんな時に辛かったり悲しかったりしますよね。でも、悲しいけれども、医者ではないから、何もできないんです。前半の「難病の」ということに対しては。「神様、なぜですか」とは聞きますけれどもね。
 だから、せめて後ろの「夢をかなえる」ですね。何もないままで亡くなるよりも、あの時あんなに面白かった、あんなに生き生きとしていた、ということが、子どもをずっと生かし続けていくことだと思うんですよ。病気で苦しんでいるだけじゃなくて、あの時あんなにキラキラ笑っていたよねっていう子どもが残りますよね、それは大きいと思う、すごく。

 福島 メイク・ア・ウィッシュの活動で、日本ならではの難しさなどを感じることはありますか。
 大野 最初によくいわれたのは、やっぱり「1人の子にしてどうするの」というね。一家族に何十万もかけて1回だけ外国にいくよりも、それだけのお金があれば、もっとたくさんの子どもに使える。そういう反発がありましたね。

 福島 今はどうですか。92年から活動が始まり、年数も経ってきて。
 大野 だいぶ変わりました。家族が家族で終わらないということを、そして、そこから大きな喜びが 生まれるということを、ご理解いただけてきています。だって、たった1人のクリス君から16万5000人ですから。阪神大震災やいろんな天災などがあって、人の気持ちが少し変わってきたのかもしれないですね。

 福島 大野さんは学生時代、劇団四季の研究所に所属し、お芝居に明け暮れていたそうですね。将来は芝居の世界に、という夢を持っていらっしゃったわけですよね。
 大野 持っていました。今のようなミュージカル路線じゃない時代でしたから。浅利慶太さんに教えてもらったことは大きいですね。文化に対する思いであったり、そういうものが多分、どこか自分の中にあるんだと思います。

 福島 お芝居の道には進まないで、すぐにご結婚されましたね。4人のお子さんに恵まれて。ご主人のお仕事の関係でサンフランシスコにいかれたそうですが、その頃はどんな生活でしたか。
 大野 すごい教育ママ。自分のいうことは間違ってないみたいに、子どもをビシビシと育ててね。元気で、エネルギーがあるんです。ちょっとのこともできないような人を見ると「いいよ、私がやるよ」って。
 優秀とまではいわないけれども、やればできると思っていたし、できない人を見ると、軽んじたりという思いがあったと思うんです。

 でも、思ってもなく離婚したところからガラガラ崩れてきて。離婚して仕事を始めた時にあまりにできなくて。「えっ、私って実はこんなに常識を知らなかったり、書類の1枚も書けなかったり、そんな人間だったんだ」と。「今まで人のことを軽んじていたけれど、自分がわかっていないだけだったんだ」ということに気が付いた。それはもう天地がひっくり返るぐらいのショックでした。

 福島 そこから考え方が変わられたわけですね。
 大野 変わりましたね。まず、子どもを怒らなくなった。これはこの子の人生だから、この子がやろうと思っていることだからと。自分の不出来さがわかったところから、キャパがものすごく広がった。いろんな人を見ても、偉いなと本気で思えるようになりましたし。

 福島 その経験が今の活動につながっている部分もおありですか。
 大野 あります。それがなかったら、例えば手が遅いボランティアさんなんかにはピリピリきたりすると思うんですね。でも今は、全然そんなことを思わないですよ。「手弁当で交通費も自分で払い、1円もくれないところにきてくれている。その気持ちだけでもありがたい」って。

 今までは目に見えるものしか、見えていなかったんですね。メイク・ア・ウィッシュでいろんな子どもと出会う中で、そのことがわかったんです。以前の私でしたら、病気の子どもを見た時に、かわいそうとか、こんな病気になったのは何が悪いのか、とか、そんなふうにしか見なかっただろうと思います。
 でも、病気は大変だけど、そのおかげで家族が本当に寄り添って密度の濃い、それはそれで幸せな時間を過ごしていることもあるんだ、ということがわかった。病気と闘いながらも夢を思い描く力があるということは、性格が明るいということなんです。その明るさは、病気という現実は変えられなくても、その子の日々の暮らしや周りの気持ちは変えていくだろうということですね。

 そして、闘病生活が苦しくて絶望することがあったとしても、「あの時メイク・ア・ウィッシュのお姉さんが一緒になって喜んだよ」とか「プロ野球選手に会ったら、頑張れよっていってくれたよ」って思ったら、やっぱり立ち直ったり、もう1回踏ん張れると思うんです。こういうことは以前の私には見えなかったと思う、きっと。

「三日坊主の勧め」

 福島 ボランティアと聞くと大変だし、やると決めたら自分の生活を犠牲にしてでも、と感じている方も多いと思います。でも、著書の中で、ボランティア活動をそう感じている人たちに「三日坊主の勧め」「売名行為の勧め」などと諭しています。これはどういうことなんですか。
 大野 福島さんのおっしゃった通りの人たちなんだなあ、日本人は、と思ったからです。例えば外国人が手伝いにきてくれる場合、「もしもし、今新宿にいて1時間ぐらい時間があるんだけど、なんかできることない」ってフットワークがいい。
 それと比べて日本人は、「中途半端になったらかえってご迷惑だから」「月曜日から金曜日までいかなきゃいけませんでしょうか」「10時から5時まででしょうか」。そういう声をたくさん聞いた時に、その生真面目さが結局、1歩も進めないものにするんだと思ったんですね。それが「三日坊主の勧め」という言葉に出てきたんですけど。

 それから「売名行為」はやっぱり最初は叩かれたですね、目立ちたがりということで。でも、目立たなきゃ、どうするんだよという。いいことはそのうち黙っていても広がるけれど、メイク・ア・ウィッシュでいうと、そのうち広がったのではメイク・ア・ウィッシュを知らないで亡くなる子もいるし、18歳を過ぎちゃう子もいるんです。
 だから1日でも早くみんなに伝えたい。そう思った時に「売名行為」という言葉が出てきたんですね。強烈な方がいいだろうと思って。

 福島 やっぱり生真面目なんですね、日本人は。やり始めたら、最後までやりとげなきゃいけないという。
 大野 途中でやめたら根性なしとか、口先だけだったとかね。
 でも、口先だけでも、1日だけでも、やらないより、やってくれる方が助かるんです。

 福島 これからメイク・ア・ウィッシュを、どういう方向に展開されますか。
 大野 財団になりたいんです。組織として今は任意団体なんですが、日本以外の国々は全部財団なんです。しかも、できれば税的な控除がもらえる公益法人になりたいです。

 福島 ハードルは高いですか。
 大野 高いですね。何が高いかというと、なかなか公益という観点で見てもらえないことなんです。私たちから見たら公益でしかないだろうと思うんですけど。

 福島 これが公益でなければ何だろう、というぐらいの気持ちがしますよ。
 大野 夢を申し込んでくる子どもの絶対数が少なかったり。例えば「がんの子供を守る会」は財団 法人ですけれども、癌の研究など広く裾野を広げないといけないんです。うちのように夢、しかも一人ひとりっていうと、公益という概念に収まりにくいようで す。まあ、今度制度が変わり、認定するのがお役所じゃなくて識者になるので、少しは変わるかなと思っているんですけど。

「誰 かの役に立ちたい」との思い

 福島 大野さんご自身、今はどんな夢をお持ちですか。
 大野 やはり日本中の人にメイク・ア・ウィッシュのことを知らせたいですね。知らせて、いつで もきた時にすぐ応えられるだけのお金の力と人の力を持つ団体にしたい。
 しかもメイク・ア・ウィッシュと聞いた時に「ああ、いいな」って思われる 団体になりたい。病気の子どもがメイク・ア・ウィッシュを知った時に、「こんなにラッキーなことがあったんだ」と思ってくれるようになりたいとすごく思っ ています。

 福島 そのためにも、どんな活動を重視されますか。
 大野 特にやりたいと思っているのは、学校で子どもたちにメイク・ア・ウィッシュの話をするこ となんです。あなたたちにも他人事じゃないのよ、と。
 例えば10万人に1人病気になる子どもがいるということは、残りの9万9999人はその子 のおかげで10万分の1の確率から逃れられたわけです。その子のおかげであなたは10万人に1人にならなかった。でも、その子が自分の力だけじゃできない んだとしたら、残りの9万9999人はその子の手伝いをしても当たり前じゃないのと。

 福島 どうですか、その話を 聞いた時の子どもたちの反応は。
 大野 ものすごくいいですよ。私は 確信を持つんですけど、私たちの中には「自分さえよければ」と思う気持ちがあるけれど、それに負けないぐらい「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強い。 それがDNAに組み込まれているって確信する。
 子どもたちから感想文がくると、みんなそのことを書いています。そういう気持ちがあるのだけれ ど、普段は引き出しの中に忘れていて、メイク・ア・ウィッシュに出合った時に出てくるんだと思う。

 福島 子どもた ちの世代に浸透することで、活動が本当に日本でも根付くのでしょうね。
 大野  やっぱりフェイス・トゥ・フェイスの種まきじゃないと。そうやって話すと、子どもの中に種として埋め込まれるのだと思います。その場では感想文を書くだけ かもしれないけれど、何かの拍子に芽がないけれど、何かの拍子に芽が出る。そう信じています。             (敬称略)

 

○大野寿子(おおの・ひさこ)氏
 1951年、香川県生まれ。上智大学卒業後、87年、商社マンの妻として渡米。91年離婚。4人の子どもを連れて帰国後、ブティックに勤務。94年再 婚。同年、メイク・ア・ウィッシュの活動に出合い活動を開始。現在は事務局長を務める。

 

インタビュー後記
 ボランティアは決して一方通行のものでなく、お互いが学びあい、支え合う、双方向のコミュニケーションであるという大野さんの言葉が心に響きました。そ れに夢が私たちにもたらしてくれる大きな力。これは決して難病と闘っている子どもたちだけでなく、大人も含めてすべての人にとって普遍のことだと思いま す。明るさは強さだともおっしゃっていましたが、大野さんご自身、本当に明るい方でエネルギーがあふれていました。おそらくこれまでのご自身の人生経験が 大野さんを一回りも二回りも強くしたのとだ思います。ユーモア、言葉のセンスも抜群で、「三日坊主の勧め」とか「売名行為の勧め」という表現に思わず吹き 出してしまいました。大野さんの明るさは、メイク・ア・ウイッシュの活動を広げていく上で力強い原動力となることでしょう。

 

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